2011年5月19日木曜日

南仏の5月

唐突であるが、1996年4月下旬からから6月中旬までの約2か月間の欧米5か国視察旅行(実際には漫遊)を振り返ってみたい。

出発した日、丁度オウム真理教麻原の初公判が東京地方裁判所で行われているのをタクシーから見つめながら、成田に向かった。
最初の都市はアメリカのロサンゼルスで、LAXに着いた時の埃っぽい土の匂いを今でも昨日のように思い出す。

翌日のユニバーサル・スタジオ行きのタクシーのドライバーがドジャースファンで野茂をべた褒めでとても誇らしかった。

その後、ビバリーヒルズのバーニーズの靴売り場で幼馴染のスタイリストが仕事でLAに来ていたので、待ち合わせをして、当時とても流行っていたシーフードレストランで注文したムール貝はバケツ一杯だった。

リゾーリというとても素敵な書店があったが、映画『プリティ・ウーマン』でも登場するロデオ・ドライブは、予想していたより間抜けな感じでがっかりした。

食事の後は、映画の舞台となったビバリー・ウィルシャーホテルのBARでなごんで、次の日ワシントンDCに向かった。

LAXから飛び立ち、3時間後、ある事に気が付いた。実は恥ずかしながら、LAのボナベンチャーホテルのセーフティ・ボックスにそれなりの額のトラベラーズ・チェックを置き忘れたのである。
戻るわけにもいかないので、次の目的地であるイタリアのミラノ行にワシントンDCで乗り換えた。

ミラノ行の飛行機の隣の席は、イタリアでアメリカン・フットボールを教えている恋人に会いに行くブロンドの女性で、ブラックウッドという苗字だったので、「祖先はドイツ系ですか?」と会話を始めて長話をすることになった。

というわけで、ヨーロッパの話は次回に。

今日はここまで。

Mr. Cloud

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