2011年7月2日土曜日

フレンチ・ウィンドウ@森美術館

コレクターが集めたフランスの現代アートシーンを満喫

現代アートの感想は、好き嫌い、何だか変、面白い~と難しく考えなくて良いところが好き


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この子は・・・「無題、大きな一つの世界」

マルセル・デュシャンの「泉」

トーマス・ヒルシュホーンの「スピノザ・カー」に息子は反応していました

Mrs. Cloud

SUPER 8@新宿ピカデリー

今日は家族で待望の『SUPER 8』を観賞した。

前評判では、『E.T.』+『スタンドバイミー』といった批評が多いが、仕掛けが大き過ぎるので、スピルバーグの過去の作品へのオマージュであることは感じられたが、前出の2作の味わいとは異なっていた。

Mr. Cloud

2011年6月30日木曜日

南仏の5月 パート10

ジェノヴァでは、ホテルで食べた本物のジェノヴェーゼソースで作った伝統料理が最高だった。
日本に帰ってから、同じ形のパスタを探したが、未だに見つけられずにいる。

ジェノヴァ駅から列車に乗り、待望の南仏に向かった。
地中海の海岸線沿いに列車は進み、これまで見たことのない風景ももちろんあったが、なんとなく伊豆に似た雰囲気もあった。

何しろ、熱海は東洋のモナコなのだから。

Mr. Cloud

2011年6月29日水曜日

南仏の5月 パート9

ルネサンスの都フィレンツェを後にし、中世の地中海貿易で栄えたジェノヴァに着いた。
途中、ピサに立ち寄りたい気持ちもあったが、先が長いこともあり、ヴェネツィアのアドリア海から地中海に到達した。

ジェノヴァはあのコロンブスの生まれ故郷で、ここからスペインのイザベラ女王の支援でアメリカ大陸を発見?することになる。

ジェノヴァ駅前には、立派なコロンブス像が堂々としていた。

Mr. Cloud

2011年6月24日金曜日

南仏の5月 パート8

フィレンツェでは、ウフィツィ美術館でダ・ヴィンチの『受胎告知』、ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』、アカデミア美術館で『ダビデ像』と素晴らしい芸術品を堪能した。

イタリアは、西ローマ帝国の崩壊以後、小国の乱立が続き、1861年に成立したイタリア王国が71年に全土を統一するまで、中世の時代には、ジェノヴァ、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェなどが地中海交易や商工業を背景に勃興したのである。

Mr. Cloud

2011年6月23日木曜日

ボローニャから移動し、とうとうルネサンスの都であるフィレンツェに到着した。
宿泊は、『Grand Hotel Villa Medici』で、5月音楽祭でも有名なコムナーレ劇場にもほど近く、私が宿泊した時もヨーロッパの有名なオーケストラが昼間ホテル内で練習しており、素晴らしい響きをまじかに聴くことができた。

フィレンツェは、歴史上、最も有名なパトロンであるメディチ家が創造した都市であるが、メディチ家は私にとっても最も尊敬するパトロン一族である。
何といってもあのダ・ヴィンチの庇護者であったのだから。
ミケランジェロを始め、メディチ家が存在しなければ、ルネサンスは興隆しなかったであろう。

ミケランジェロのダビデ像のアカデミア美術館、ダ・ヴィンチの受胎告知、ボッティチェリのヴィーナスの誕生のウフィツィ美術館と、人類の文化遺産の宝庫であるフィレンツェは、いくら時間があっても足りないほどであった。

フィレンツェの街を散策していた時、突然、自分の名前を呼ばれたので、驚いて振り向くと、そこに弟の彼女の友人が立っていたのである。
彼女は、銀座に本店を構える日本でも有数の靴店の跡取り娘で、丁度靴の勉強でイタリアに滞在しており、見本市が近いので、準備のためにフィレンツェの靴店を回っている最中であった。
フィレンツェもボローニャと並ぶ、皮革製品の街であり、あのサルバトーレ・フェラガモもポンテ・ベッキオ近くに本店を構えていた。

また、オートバイが多い街でもあり、空気はおせじにもきれいとはいえなかった。
フィレンツェはトスカーナ州の州都であるが、トスカーナ・ワインは世界に誇るワインとなっていて、ピッティ宮殿前の『ピッティ・ゴーラ・エ・カンティーナ』を訪れると、マニア垂涎のトスカーナ・ワインがリーズナブルな価格で所狭しと置かれていた。
オーナーと英語で会話し、ティニャネッロ数本と、あと数本他のワインを購入し、店を出た。
その後スペイン・トレドの画家の友人にティニャネッロをお土産として持って行ったが、今年もらった年賀状に、最近私のいとことあのワインを飲んだと書かれていた。

Mr. Cloud

南仏の5月 パート6

ボローニャは、食の都であると共に皮革製品でも世界的に有名である。

ア・テストーニ』、『ブルーノ・マリ』など、ボロネーゼ製法と呼ばれる独特の靴の製造法により、履きやすく、しかも美しい靴のフォルムを実現した靴作りを続けている。

ひとつ残念だったのは、食の都でも最も有名な『パッパガッロ』というレストランが予約でいっぱいだったことである。古城の中にあるようなレストランで、次回は是非訪れたい。

さて、本来の目的であるF1サンマリノグランプリの開催地であるイモラに、ボローニャから電車で1時間ほどで到着した。
イモラは、とてものどかな田舎町で、こんなところでF1レースをするのかとびっくりしたのを思い出す。
イモラのサーキットは、あのフェラーリの創設者である『エンツィオ・フェラーリサーキット』と呼ばれ、フェラーリのもうひとつの聖地でもあった。
1994年5月のイモラで、『音速の貴公子アイルトン・セナ』がコーナーに激突し亡くなっており、あのさわやかな笑顔をレース中、何度も思い出した。

のどかなサーキットに、イタリア中、ヨーロッパ中からたくさんの人々が集まり、ピクニック気分でレースを楽しんでいた。
スタンドは、フェラーリレッドで真っ赤に染まり、イタリアの誇りであるフェラーリの偉大さを思い知らされた。

Mr. Cloud